本物に触れた感動は、10年経っても色褪せない

オーケストラのバイオリン奏者の後ろ姿

約10年前に観たコンサートなのに、今でもふとした瞬間に思い出すことがあります。ダイナミックに動く指揮者の姿。オーケストラの音色。そして、開演直前に偶然握手した大きな手。ロンドンのカドガンホールで聴いた、佐渡裕さんのコンサートです。

一時帰国をした際に、たまたま母親の本棚にあった佐渡裕さんの自叙伝を読んだ直後だったのもあり、「あ、あの指揮者の方が来るのか。ぜひ聴きに行ってみたい。」とチケットを予約。コンサートは平日の夜だったので、当日少しそわそわしていたのを覚えています。 

開演直前、まさかの佐渡裕さん本人に遭遇

定時で仕事を切り上げ、コンサート会場に向かいます。当時の仕事場から会場までの移動に思ったより時間がかかってしまい、会場の最寄り駅を出てから少し息が上がるくらいの早足で歩いていました。

ようやく会場の建物が見えてきた時には、開演10-15分前。早く中に入って着席しないとと思い、急いで入り口を探します。右手の細い車道を挟んで向こう側から、燕尾服を着た男性がこちらに渡って来るのが見えました。オーケストラの団員の方かしら?なんて思いながら、入り口に急ぐ私。

左側に視線を戻すと、柱の影から突然、背の高い男性が現れたように見えて、思わず立ち止まりました。立ち止まった瞬間に相手と目が合ってしまいます。 

よくよく見ると佐渡裕さん本人ではないですか!私は言葉が見つからず、でも咄嗟に「楽しみにしてました!」とお声をかけると、「ありがとうございます」と向こうから両手で握手してくださいました。本番直前にも関わらず気さくな対応、そして握手の手がとても大きかったのが印象的でした。

ロンドンのカドガンホールで聴いた、佐渡裕さんのコンサート

カドガンホールはそれほど大きなホールではなく、ステージと客席が近めの会場設計になっています。私の席は2階席で、ちょうどステージを右上から見下ろせる位置でした。なので、オーケストラと指揮者がより近く感じます。

オーケストラの方が位置に着くと、指揮者が壇上のセンターに現れました。つい10分前に会場の外で見かけた佐渡さんです。にこやかに入って来られ客席に向けて一礼すると、演奏が始まりました。

各楽器へ出す合図、大きく息を吸う息遣い、指揮の動きもダイナミック。指揮に詳しくなくても、全身全霊で指揮をとっているのが伝わってきます。また右上から見下ろす形でステージを見ていたので、指揮者の出す合図に合わせて演奏者が音のボリュームやタイミングを調整しているのがよく見えます。

それまで指揮者を「拍子を取る人」くらいに思っていたのに、認識がガラッと変わりました。全体を俯瞰しながらも楽器を聴き分け、その時々で指示を送っていく。こんなに高度なことをしているのかと、驚きました。オーケストラの奏でるハーモニーに包まれながら、いつの間にか佐渡裕さんの指揮者する姿に見入ってしまったのでした。 

本物に触れる経験はなぜ記憶に残るのだろう?

その日の帰り道、また数日経っても、佐渡裕さんの指揮とオーケストラの余韻に浸っていました。10年経っても、あの演奏会で感じた衝撃に似た感動は色褪せません。曲目や演奏の全てを覚えているわけじゃないのに、その時に揺さぶられた感覚だけは、今も不思議なくらい鮮明に残っています。

思い返せば、まだ未就学児の年齢の頃、母親に連れられて観に行ったバレエのジゼルやオペラのカルメンもずっと記憶に残っています。まだ静かに鑑賞できる年頃ではなかったはずです。でも、プロのダンサーさんの体のこなし方や表現力、なんでジゼルは悲しそうなのとか、耳に残る力強い歌声が面白いなとか、幼いなりに感動した記憶があります。

振り返ってみると、私の記憶に長く残っているのは、自分の想像を大きく超えるものを目の前で見た時なのかもしれません。子どもの頃に観た舞台も、佐渡裕さんの指揮も、こちらが勝手に想像していた「こんな感じだろう」を簡単に飛び越えてきました。本物に触れるというのは、技術のすごさを理解することではなく、理屈より先に心を動かされる経験なのかもしれません。